彼と猫とわたし

“意に反して”猫額ほどの行動範囲の日常を書いています。

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ジンは心を酔わせるの.jpg



「傷心と空虚のどちらかを選ばなくてはならないとしたらどちらを選ぶ?」



森瑤子の作品の中で、何度か出てくるセリフだ。

傷心は妥協の産物だ。全てでなければ何もいらない、だから空虚を選ぶ」

と言ったのは、森瑤子の作品の登場人物だと記憶していたのだが、
どうも、ゴダールの映画「勝手にしやがれ」のセリフを引用したもの。


正確には、、、、
「傷心はバカげてる。虚無を選ぶね。傷心は一つの妥協だ。全てか無かだ。今それが判った」

それを森瑤子が作品の中で使っていたってことか。


森瑤子の作品の中では、女は空虚を選んでいる。
「空虚はなにもないこと。そんなのぞっとしない?
自分の中が空っぽになってしまうくらいなら、どんなに辛くても私は傷心を選ぶ」



私が森瑤子の作品を初めて読んだのは確か19の時。
(しっかし19にはいろんなことが有り過ぎた・・・というより波乱の幕開け・・・)

地元の駅前のスーパーの前に古本が並んでいて、
ふと手にしたのがデビュー作の「情事」


そこからだはまったのは。森瑤子の作品は全て読んでいる。

感化されというより、当時の私にピッタリ重なった。
森瑤子の作品が。


全てでなければ何もいらない------

そう、私も「空虚」を選んだ。

選んだのに煩悩は消せず、というよりすでにその時傷付いてたからこその選択だったと思う。

全てがほしい。全てを頂戴と全てを望んだが、
貰えることはなく、文字通り心身共に傷だらけになっていく。



傷も残らないような愛し方なんてしない。

だから、その道以外はなかったと思っている。



「傷心と空虚のどちらかを選ばなくてはならないとしたらどちらを選ぶ?」

今訊ねられたなら、私はどちらを選ぶのだろう。


一昨日の夜、ふとサンバを踊ってみた私。
踊れた!w

そして昔やってたフラメンコを少し踊ってみた。
だるっ

そしたら翌日腿が筋肉痛に(T∇T)
お尻の筋肉痛があったのに、腿まで。
あんなに少しサパテアート(足でリズムを打つこと)を打っただけなのに!

フラメンコはタブラオ(スパニッシュレストランのショー)で見て取り憑かれ、
そのショーの舞踊団の練習を見学に行き入団。

当時私は、行き場の失くした情熱を昇華するのに、
離れにコンパネを敷いて、自宅でも踊っていた。





動画は、フラメンコの女王、Carmen Amaya
(カルメンアマジャ 1931-1961)

これだけ腰も頭もブレずに踊れるだろうか。
神がかってる・・・・





この動画を初めてみた時は衝撃を受けた。
鬼気迫るものがあるでしょ?

「あなたが身体の中に持っているものはいったいどういう類の悪魔なのだろう!」
指揮者のストコフスキーがそう言ったのだとか。


******

私の中の悪魔はもう昔のように暴れたりはしないけど、
激情は消えない。
これを無くしたら、私ではなくなると思う。

ただ、間違った激情を発動してしまいがちな私(泣
これはダメだ。

これは揺るぎない自信のなさに起因してるとわかっている。
課題はそこだ。


そう考えを巡らせていたら、ついさっき、
すごく嬉しいことがあって泣きそうになった。
人間嫌いのところがある私だけど、やっぱり人っていいな~と思った瞬間だ。

だから、丁寧に接して行かないといけないのだ
と、反省しきりである。



そうフラメンコを見ながら思った次第である。
さて、100均で手帳と、スーパーで豆腐買ってこよっと。

( ̄ー ̄)ニヤリ




LE NOISEUR
アルバムDu bout des lèvresの中の24×36


偶然見つけてようつべで探したんだけど、
この方、どなた?

ぐぐったら、フランスで注目のシンガソングライターだとか。

フランス在住のブロ友さんなら知ってるかな。


しかし、フランス語って何を話しても
愛を囁いてるように聞こえるんですけど(*´艸`*)


今夜は寺山修二の「寺山修二少女詩集」を引っ張りだしてきて、
みゆき(中島みゆき)を聴きながら読んだ。


私が一番好きな詩。



うそつきな女がいました

うそつきな男に恋をしました

空にかかったうそのお月さま

かわすことばもうそばかり

うそでかざった城に住み

うそのしぐさで愛しあい

くたびれきってわかれました



「寺山修二少女詩集」ぼくの作ったマザーグースより



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